「人生の岐路」

私が建設会社に勤務していた平成元年(1989)の事。
ある現場が竣工を迎える頃、母校である中央工学校から教員として採用するお話を頂きました。
現場技術者としての勤務も12年間が過ぎ、これまでの経験をもとに学生指導することも有意義と考えて、退職を決意しました。
恐る恐る会社に申し出ると早速ストップがかかり、「お前は次の現場が決まっているから駄目だ」とのこと・・・・、よく聞けばなんと海外赴任・・・・・・。
当時はバブル経済の真っ只中。
日本中が空前の建設ブームに沸き立ち、市場は国内から海外に拡大していきました。
その流れに乗って我社も海外への進出が始まったわけです。
詳細は避けますが、タイの沖、アンダマン海に浮かぶ無人島をリゾート地として開発する我社始まって以来のビックプロジェクト。
設計は後に東京オリンピックの会場である新国立競技場を設計する隈研吾先生です。
今でこそ日本を代表する著名な建築家ですが、当時は業界にようやく頭角を現し始めた頃でした。
結局私はそのプロジェクトを辞退し、中央工学校への道を選びました。
今思えば隈先生と仕事が出来る貴重な機会であり、技術者としてもう一歩成長することが出来たかもしれません。
しかし、派遣された同僚たちはその後10年間帰国することが出来ませんでした。
もし、私がそのプロジェクトに加わっていれば、現在の私はなかったでしょう。
隈先生が本校の学生に向けて21号館(STEP)で講演して下さった時(平成30年6月)、この件を先生にお話致しました。
先生も私の同僚達の名前を出しながら、懐かしく回想されていました。
あれから32年が経ちました。
大げさに思われるでしょうが、私にとって人生の岐路を分けた忘れられない思い出です。

隈研吾展 新しい公共性をつくるためのネコの5原則(東京国立近代美術館)