「二つの学校銘板」

中央工学校歴史館(18号館)の正面にある学校銘板。
これは、第五代校長 田中角栄 元内閣総理大臣が、昭和46年(1971)に揮毫されたものです。
田中先生は16歳で新潟から上京し、中央工学校夜間土木科を昭和11年(1936)に卒業されています。
母校に対する熱い思いが力強い筆致から感じられますね。

さて、もう一つの学校銘板についてご紹介します。
二枚目の写真をご覧ください。
学校名とともに「男爵 渋沢 栄一 氏 筆」と記されています。
そうです、日本経済の礎を築いた、実業家 渋沢栄一氏によるものです。
NHK大河ドラマ「青天を衝け」の主人公として今まさに時の人ですね。
渋沢栄一氏は明治34年(1901)に東京都北区飛鳥山の地に移り住み、終の棲家とされました。
中央工学校が創立された明治42年(1909)、渋沢氏はすでに70歳。
現在の帝国劇場を創立し取締役会長に就任した頃です(実業之日本社 渋沢栄一検定 公式テキストから引用)。
残念ながら関東大震災により我が校舎と共に現物は消失してしまいました。
よってこの写真のみが残されています。
近代日本を語るに欠かせない二人の偉人による学校銘板、中央工学校の歴史と伝統を感じさせます。